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お寺de名著-宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

最終更新: 2018年2月19日

 2月15日、音羽町の「妙見寺」で読書会「お寺de名著」が開かれました。10人が参加し、講師のH先生が宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」について解説、作品について話し合いました。H先生は、宮沢賢治作品研究に長年取り組んでおり、銀河鉄道の読み方、解釈、賢治が作品を通して何を伝えようとしていたか・・・を話しました。

 

 まず、主人公ジョバンニの友人カンパネルラはすでに死者であり、銀河鉄道は死者を運ぶ鉄道、ジョバンニの“夢”が銀河鉄道の世界と交差し2人が出会っているという物語の構成を説明。例えば「みんなはねずゐぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずゐぶん走ったけれども追ひつかなかった。」というカンパネルラのセリフは、死者の側から見た描写であるということが暗示されているとしました。

 

 カンパネルラは、溺れたザネリを助けるために自分が犠牲になったのですが、「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」と苦悩します。ザネリを助けたという自己犠牲の行為によって、苦しむ人がいるということに思いをはせており、H先生は「それまでの自己犠牲ということがテーマなっている作品から『銀河鉄道の夜』ではさらに1歩進み、誰かの犠牲の上で成り立つ幸せは本当の幸せなのか、ということを問い掛けている」と説明。

 

 「ジョバンニは、みんなにとって本当の幸せとは何かということを自らに問いかけていくことになり、カンパネルラから『そのことを追及し、実践していく』というバトンを受け継ぎ地上に戻ってくる」としました。 目覚めるとジョバンニが抱えていたのは牛乳。ここで、H先生は「賢治の言葉遊び」についても説明。銀河とは英語で「ミルキーウェイ」。ミルキーは「牛乳」ということです。

 ジョバンニにとって銀河とは、憧れの存在であり、遠くにあったものだったのが、眼を覚ますとジョバンニの手の中には牛乳があります。 ここからH先生は「ジョバンニが憧れた銀河は、遠くではなく手の中にある。ここから、地上こそ天国にしなければならないという思想につながってくるのではないでしょうか」とし「賢治は、みんなにとっての本当の幸せとは何かということについて、答えられなかった。ただ、そう問い続けることこそが大切なのだということを、作品で示したのではないでしょうか」と説明。

 賢治の「農民芸術概論綱要」での「われらは世界のまことの幸福を索よう 求道すでに道である」という言葉がそのことを指しているとしました。 読書会では、H先生が分析した「ジョバンニの町の図」も。


この後、参加者同士で作品について話し合いました。次回は3月15日午後6時半~です。テーマは「星の王子さま」。詳細は当ホームページの「申し込み受付中の行事」でご確認ください。


 


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